文言のせいではない
目標を決めたはずなのに、どこか納得できないままでいることがある。「検索経由の購入率を上げる」と期初に掲げ、異論も出なかったのに、日々の作業と目標の間に手応えのあるつながりを感じられない。この違和感は、目標の文言が悪いからではない。目標を選んだ理由か、達成を判定する形か。どちらかが欠けているのである。ただし、自分の目標がどちらで欠けているのかは、文言を読み返しただけでは分からない。
目標は選ばれたものである
なぜ会員数や客単価でもなく、検索経由の購入率なのか。そう聞かれると、答えに詰まる。答えるには理由がいる。たとえば「検索から来た訪問者は購入意欲が高いのに、途中で離脱している」という現状認識があって、はじめて購入率が他の候補より優先される。この認識を欠いたまま掲げた目標は、声の大きい人の提案や前年踏襲で決まった目標と区別がつかない。
「上げる」としか書いていない目標
理由は言えるようになった。それでも「検索経由の購入率を上げる」は、まだ「上げる」としか言っていない。1%上がっても達成であり、0.1%でも達成である。「事業を成長させる」「体験を良くする」という目標も同じ構造を持つ。期末にどの数字を見ても、達成したと言えるし、足りないとも言える。外れようがない目標は、答え合わせができない。答え合わせができなければ、期の途中で「この方向で合っているのか」と問われたとき、誰も答えを持たない。この宙ぶらりんのまま、期は進んでいく。
判定できる形とは、「今期中に検索経由の購入率が3%を超えなければ、この目標の選び方が外れだったと認める」のような、外れの条件まで書いた形を指す。外れの条件を書くのは悲観のためではない。
外れたときに、目標を支えていた現状認識ごと捨て、次の目標の候補を絞るためである。
決定の場でうなずいただけの目標
検索経由の購入率を上げる。この目標が出た会議で、異論は出なかった。全員がうなずいた。これで十分なはずである。しかし、決定の瞬間の同意は、理由と判定の形の代わりにはならない。理由がある目標は、期中に状況が変わったとき「この認識が崩れたから目標を変える」と言える。判定の形がある目標は、期末に外れを認め、次の選び方を変えられる。どちらもない目標は、変えることも答え合わせもできないまま、ただ掲げられ続ける。
目標が腑に落ちないと感じたら、文言を磨き直す前に、2つを確かめればよい。その目標を他の候補より優先した理由を言えるか。何が起きたら外れだったと認めるかを書いてあるか。それで、自分の目標がどちらで欠けているかが分かる。欠けているほうを埋めれば、同じ文言のままでも目標は腑に落ちる。
「検索経由の購入率を上げる」と決めたあの会議で、この2つを聞いた人はいなかった。次に聞く役目は、自分が引き受けてもよい。